2023/12/02

西区西部八校区研修旅行

 

令和5年11月30日(木)~12月1日(金)福岡市西区の西部八校区の研修旅行が開催されました。 来年2024年が元寇(蒙古襲来)から750年記念で各地で行事が行われます。 それを迎えるにあたって元寇を学習しようと壱岐に行きました。

左の写真は壱岐といえば「猿岩」だろうと参加者30名の意見が一致し、2日目の最後に急遽観光しました。 猿は左を向いていますが、左側から見ると猿には見えません。 筆者個人としては猿岩が一番良かったです。

他は真面目な研修で見学や座学もありました。

以下に勉強してきたことを報告します。




まずは壱岐神社、壱岐の守護代少弐資時(しょうにすけとき)を祭った神社です。
この神社の周りは少弐公園となっていて史跡が残されています。

次の2組の写真は公園内の史跡です。

これは元軍の船の木でできていた碇を沈めるための重りとして使われていたと言われる碇石です。
ただこれが本当に使われていたのかは証明されていないそうです。

少弐資時の戦闘を描いた絵と下はその墓です。 丸く囲われたものは狼煙台です。
一支国(いきこく)博物館です。
ここでは博物館長の説明で見学のあと館長による30分程度の座学と意見交換会をしました。 国宝級の仏像も展示されていて、それはある国から盗みにくるので本来あるべき寺では物騒で置いておけないということで預かっているそうです。
時間がなく真ん中の塔には登れませんでした。 残念!



右上の写真は玄関から入ったら床に壱岐全体の地図があり、名所の写真が埋め込まれていました。
下の写真は魏志倭人伝に書かれている一支国の賑わっていた頃の住民の模型です。
人形の顔は壱岐市民に募集をかけて集まった人たちの顔に似せて作られているそうです。
自分に似た人形があるなんて面白い。



新城古戦場跡と千人塚です。
古戦場は農地となっていますが、本来史跡ならば農地にすることはできないのだが、史跡に指定される前に農地になってしまってどうすることもできないとのことです。


文永の役唐人原古戦場跡です。
古戦場跡の碑は小さく、膝丈くらいなので見落とすと思います。
青い線で囲った大きく立派な碑はここを農地として改修した時の碑です。
どちらが歴史的価値はあるのでしょう?

壱岐の北側の勝本湾に馬場先元軍上陸地の碑があります。
ここから元軍は南進したようです。
現在、埋め立て地になっていて海からは数百メートル離れています。

猿岩の近くに第2次世界大戦前に作られた黒崎砲台跡があり、その入り口もありました。
砲台の口径41Cmで弾丸の重さは1トン。
戦艦土佐あるいは赤城の主砲が据えられたが1度の試射のみで実戦で使用されることはなかったそうです。

中は光が入らず真っ暗で途中で引き返しました。 怖かった。